ごあいさつ
2015.9.24
~ごあいさつ~
「中澤さんは、どうして税理士になったのですか?」
というご質問を関与先の方々からよく聞かれます。
税理士というと、細身で銀縁メガネ、真面目で神経質そうなイメージで、私の風体とは相反するところから疑問に思われるのかと感じます。
【住宅メーカーのサラリーマン時代】
私は大学卒業後、一部上場の大手住宅メーカーS社に入社しました。約半年の本社研修の後、企画開発課という名の営業職として配属されたのは横浜の住宅展示場でした。この住宅展示場は国内最大級で、当時100棟以上のモデルハウスがあり、競合する住宅メーカーの数も30社は下らない大激戦区でした。
しかし、激戦区である分、集客力も抜群で、土日になると沢山のお客様が来られました。仕事は朝8時半の掃除から始まり、事実上の終業は23時以降。休みは月に1~2回。怒鳴られるのは当たり前で、時には物や蹴りも飛んでくるバイオレンスな職場、今でいうところのブラック企業でしょう。
【頑張っているのにナゼ・・・】
幸か不幸か、この営業最前線に投入された私は、上司や先輩から徹底的に「お客様第一主義の仕事」を仕込まれ、そのお蔭で私は入社2年目にして全営業マンのTOP20に入ることができました。しかし、私たち営業の努力とは裏腹に会社の業績は悪化し、株価は低迷していきました。頑張って成果をだしても上がらぬ給与と会社の業績。
こうなると会社への不信感が蔓延してきます。優秀な先輩方も次々と会社を去っていき、私もついに転職を決断しました。
【なんで会社の業績が悪いのか?】
会社を辞めるきっかけとなった、「何故こんなに売っているのに会社の業績は悪いのか?」という疑問。そんな疑問を銀行員の叔父に話したところ、「S社は売上高は悪くない。原因はコストだよ」と。
S社はバブル期に行った大規模分譲の失敗から立ち直っておらず、莫大な負債を抱えていました。そこから支払われる利息が業績を悪化させていました。
また、高級木造住宅であることから原材料が高いにも関わらず、プレハブメーカーとの価格競争にも陥っていました。さらには、歴史の長い会社であったために、管理部門が肥大化し、維持コストが過大であったのです。
お客様第一主義で頑張れば報われる!という営業の努力は負債とコストという巨大な砂漠に吸い込まれていたのです。
当時の私は財務諸表の読み方すら知りませんでした。
【税理士を目指す】
S社の出来事から会計に興味を持った私は税理士を目指すことにしました。
このときはかなり漠然としていましたが・・・
まずは税理士専門学校へ通い、一年半で税理士試験3科目に合格しました。それから会計事務所への就職活動をしたのですが、受ける事務所にことごとく落ちました。そのとき私は、会計事務所が基本的に経験者・即戦力を募集していて、実務経験のない、試験だけ受かっている人間を嫌うということを知らなかったのです。
「こんな筈じゃなかった・・・」と失意のどん底にある中で、有名税理士I先生の講演を聞きにいきました。
「税理士は経営者のベストパートナーでなければならない!」という講演内容にすっかり感銘を受けた私は、「この先生なら私を雇ってくれるはず!」と勝手に思い込み、先生の事務所に直談判にいきました。
そのときI先生の事務所は職員の募集をしていなかったのですが、私の熱意に根負けされたのか「1か月無給・それ以降時給800円」の条件で、「1年で1人前にしてやる」とおっしゃってくださいました。それから私の会計人としての人生がスタートしました。
1年後、都内の大手会計事務所へ転職しました。そこで私は中小企業の監査業務を中心に仕事を担当し、税務申告書の作成、事業計画の立案、節税対策、ライフプランニングなどの業務をおこないました。
【独立を決意】
入社7年を過ぎ、担当件数も30社程、税務調査の立会も任され、ある意味安定期に入っていたのですが、会社の運営に疑問を抱くようにもなっていました。それは主として「収益第一主義と頻繁な担当替え」です。
会計事務所も企業である以上、営利を追求するのは当然のことです。しかし、従業員が100人を超えるような規模の事務所ともなると、管理部門の規模も肥大化しますし、古参従業員の数も増えて人件費も増えます。
よって、中堅・若手の人件費が上がらず、離職率が高まることとなり、結果として頻繁な担当替えに繋がります。よって、それを防ぐために収益第一主義に走るのですが、営利を追求するがあまり、関与先企業を単なる収入源としてしか見れなくなってしまうのです。
【顧客0で独立】
「税理士は経営者のベストパートナーでなければならない!」という思いをもって、私は2008年10月に目黒区上目黒のワンルームマンションで「中澤利成税理士事務所」を開設しました。
開設当初は顧問先0の状態でしたから、当然収入も0で、税理士会が斡旋してくれる仕事を細々とこなしていました。そうはいっても、妻と1歳になる子供がいる身ですから、なんとかしなければなりません。物は試しにあれこれと広告を出したりしましたが、反応は芳しくなく、家賃と広告費で資本金とした200万円が減っていくのみでした。
【事業計画と積極的な営業】
私は独立を当然無計画で行ったわけではありませんでした。ただ計画が甘かったのです。その原因の最たるものは、私のこれまでの経歴である「大手の看板」です。
大手の看板を失った以上、一個人事業主として地道な活動をせねばならなかったのです。私は、以前自分が関与先に行っていたように、事業計画の練り直しを行いました。結果、新たな思考に基づく営業手法は功を奏し、ご紹介を主として関与先は着実に増えていきました。
【現在】
その後、事業拡大につき事務所を現在の中目黒の目黒銀座商店街内に移転し、従業員も雇用できました。(税理士2名 職員2名)。
これからも誠心誠意関与先企業の発展のために邁進していきます。

目黒区・渋谷区・品川区・大田区など首都圏を中心に活動する中澤税理士事務所、代表税理士の中澤です。税理士の仕事で感じたこと、税務会計のルール変更など最新情報をお届けします。
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